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この項目では第二次世界大戦の欧州戦線における終戦を記述する。 == イタリアの終戦 == 1945年4月にイタリアの戦いは最終局面を迎え、各地にパルチザンが蜂起するなど、ドイツの傀儡政権イタリア社会共和国はほぼ崩壊状態にあった。共和ファシスト党総書記長アレッサンドロ・パボリーニ(en)はテリナ渓谷北側のソンドリオに拠点を移して要塞線を築き(バルテル・ライン)、あくまで抵抗する事を提案したが、すでにテリナ渓谷はパルチザンの手に落ちていた上に、軍も消極的であった〔児島(1993:219-220)〕。ベニト・ムッソリーニはイタリア本位の解決を目指すとして、4月16日に政府機能をサロからミラノに移すと発表した。ドイツの大使ルドルフ・ラーン(de)は制止したが、ドイツの影響下から逃れようとするムッソリーニは聞き入れず、4月18日にミラノに移った〔児島(1993:222-223)〕。一方でドイツの親衛隊及び警察高級指導者カール・ヴォルフ親衛隊大将は、駐イタリアドイツ軍、すなわちC軍集団を降伏させるべくアメリカの情報機関OSSスイス支局長アレン・ウェルシュ・ダレスと連絡を取っていたが、交渉は停滞していた(クロスワード作戦またはサンライズ作戦(en))。 4月23日に連合軍がポー川を突破し、勢いづいたパルチザン組織北イタリア国民解放委員会(CLANI)は、ミラノのアルフレード・シュスター(en)枢機卿に、4月25日までにドイツ軍の降伏がない限り全土で武装蜂起を行うと通告した〔児島(1993:337)〕。4月25日にはCLANIの代表とムッソリーニら政府の代表が枢機卿館で会談し、CLANI側は2時間後の即時降伏を要求した。連合軍もミラノに迫っていたため、ムッソリーニらは回答期限を迎える前にスイス国境に近いコモを目指して逃走した〔児島(1993:337-340)〕。コモに到着したムッソリーニはスイスへの亡命を希望し町長を通じて連合軍に伝えたが、ダレスはヴォルフ親衛隊大将のみ連行するよう伝えた〔児島(1993:369-371)〕。コモからスイスへの道もすでにパルチザンの手に落ちており、進退窮まったムッソリーニは4月27日にドイツ大使ラーンがいるメラーノに向かって出発したが、パルチザンによってコモ湖付近で捕らえられた。ムッソリーニらは4月28日に即決裁判によって処刑され、国防相ロドルフォ・グラツィアーニ元帥と空軍総司令官ボノミ大将もコモで降伏し、社会共和国は消滅した。 ミラノのC軍集団司令部は連合軍との降伏交渉を再開し、4月29日に5月2日正午(グリニッジ標準時)を期限とする降伏が合意された〔児島(1993:425)〕。西方総軍司令官アルベルト・ケッセルリンク元帥は独断で降伏を決めたとしてC軍集団司令官ハインリヒ・フォン・フィーティングホフ大将を罷免し、G軍集団司令官フリードリヒ・シュルツ(en)大将を新司令官に任命した。しかしC軍集団参謀長ハンス・レッティガー大将はシュルツ大将を軟禁し、C軍集団指揮下の第10軍と第14軍に停戦を命令した。しかし両軍司令官が強硬手段に反対したため、レッティガー大将はシュルツ大将を解放して説得する方針に切り替えた。シュルツ大将はドイツ新政府の抗戦方針を聞いていたため降伏に慎重であったが、 連合軍本部(en)のハロルド・アレクサンダー(en)元帥から、C軍集団が合意どおり降伏するか、一時間以内に回答を求める通告が行われた。これを受けて第10軍と第14軍は独断で降伏し、5月2日午前4時30分にはヴォルフ親衛隊大将の説得を受けたケッセルリンク元帥もC軍集団の降伏に同意した〔児島(1993:486)〕。5月4日には正式にC軍集団の降伏が行われ、イタリアの戦いは終結した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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